自らが広告塔となって 2015/06/08 70年前の広島で、爆心地から3キロ地点で被爆した斉藤さん。当時15才、勤労動員で工場の機械の下敷きになったそうです。 戦後は原爆後遺症に苦しみ、またヒバクシャとしての差別もありました。しかし自らが広告塔となって今も叫び続けています。 「ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ。そして、ノーモア・フクシマ」 斉藤さんの体験談は現在すすめている「一枚の自分史」の特集ページでご紹介します。 関連Webコンテンツ一覧・他にも以下がよく読まれています 第1回「自分史フェスティバル」 「家族がつくる祖父母の自分史」というテーマで、“…” 「自分史フェスティバル2014」開催に向けて、始動“…” 「暮らしの中の自分史フェア」に参加 今朝の産経新聞 打合せも大詰めです。 この道五十年以上の大ベテラン 読書会、いよいよ封切りです。 いよいよ来月 自分史セミナーがNHK首都圏ニュースになりました。 いよいよ最終日です。 珍しくビジネス書を刊行しました。