ハンセン病資料館へ足を運びました。

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今日は、東村山市にあるハンセン病資料館へ足を運びました。
私の中に長年刷り込まれた「あの恐怖」の正体と、向き合うときが来たのです。
しかし、この資料館で私が見たのは、人間が同じ人間に対して行った罪深い、悲しみの歴史でした。

例えばこの病気の偏見には、宗教の影響があります。
キリスト教では、「清められるべき病」。
イスラム教では、「不治の病」。
仏教では、「信仰心の浅い者がかかる病」。
とされたそうです。

その後、1873年にハンセン博士が「らい菌」を発見し、患者を隔離することが最適と主張したことから、強烈な「隔離政策」が始まりました。
1931年に、らい予防法が成立すると、日本では、警察や兵隊が患者をみつけると(ほとんどは密告だった)、拳銃を突きつけて収容所へ連行したといいます。
また、「無らい県運動」といって、らい病患者をゼロにする(つまり見つけ次第、差し出す)運動を各県ごとに競わせたというから驚きです。

らい病を根絶するためには、子孫も残せません。
患者同士の結婚のみ許されたが、男子は「断種(パイプカット)」をその条件とされたようです。

1948年、ついに新薬プロミンの登場で、ハンセン病治療は劇的に進化し、やがて完全治療が実現します。

しかし、このらい病患者を差別してきた「らい予防法」が廃止されたのは、1996年。国が裁判で敗訴し、控訴せずに謝罪したのは2001年、小泉首相の時代ですから、本当につい最近のことです。

とてもここでは紹介しきれないほどの差別と苦悩の歴史の数々があります。
でも、みなさんにも同じ日本人として、日本の歴史を知ってほしいと思いました。

それから、私が今回ハンセン病に関心を持ったのは、現在中国でハンセン病元患者の差別解放に取り組んでいる原田燎太郎さんに出会ったことがきっかけです。
彼については、また別の機会に書かせていただきます。

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