復刻本から考える(2)――『内田弥八の生涯』





 
「内田弥八の手紙」(昭和61年)、「内田弥八の生涯」(平成2年)という2冊の非売品の本を、今回『内田弥八の生涯』という1冊の本にまとめて復刻出版しました。
赤いオビには「福沢諭吉に愛された男」というキャッチフレーズがあります。では内田弥八とはいったいどんな人物なのでしょう。
 
ためしにインターネットで「内田弥八」と検索をしてみす。
すると、「慶應義塾」「福沢諭吉」「義経再興記」「チンギスハーン」「徳島県」「井川町」といったキーワードが見えてきます。これらの語句に補足を加えながらつなぎ合わせると、次のような人物像が浮かび上がってきます。
 
《内田弥八は、徳島県(三好市)井川町の生まれ。慶應義塾で福沢諭吉の門下生となる。チンギスハーンは義経だったとする『義経再興記』を翻訳出版した》
 
悲運の死を遂げた源義経を擁護する日本人特有の判官びいきから、いわゆる「義経不死説」は古来から全国各地で語り継がれてきました。そのひとつに「義経は死なずにモンゴルへ渡りジンギスカンになった」とする「義経=ジンギスカン説」があります。こうした説は、江戸時代の学者・知識人ら(新井白石、林羅山、シーボルトなど多数)によって真面目に論じられていたのです。
 
内田弥八は明治中期に「義経=ジンギスカン説」を論じた『義経再興記』を翻訳出版し、これがベストセラーになったため、若くして巨万の印税を手にしたといわれる人物です。
「翻訳」というぐらいですから原文があります。末松謙澄(すえまつ・けんちょう/政治家・歴史家)がイギリスで発表した論文を日本で翻訳する機会があり、福沢諭吉が門下生の内田弥八にその任を与えたわけです。
 
『内田弥八の生涯』はそんな弥八の生い立ちから亡くなるまでの生涯を描いた伝記になります(義経やジンギスカンの話はほとんど出てきません)。弥八が実家や親友に送った手紙が多く残っており、それら資料を元にしています。
著者は弥八の出身地である徳島県井川町の教育委員会(現三好市教育員会)の故吉岡浅一氏によるものです。吉岡氏はもともと小中学校の教師であったので、この伝記は子供でも読みやすい文体で書かれています。
 
弥八の両親は許されぬ恋仲であったため、幼いころは複雑な家庭環境で育ちます。実家の暮らしに馴染めず出奔したり、故郷に帰って村長を務めたりと、紆余曲折があります。そこへ生涯の親友となる島尾岩太郎との出会いがあり、人生が大きく変わり始めます。岩太郎の紹介で慶應義塾に入門した弥八は、福沢諭吉の薫陶を受け、国際感覚を身に着けていきます。『義経再興記』の成功によって大金を手にし、それを元にして海外へ飛び出していきます。しかし、そんな弥八を待ち受けていたのは・・・。 
 
人の生涯には必ず光と影があるものです。明治という時代を生きた一人の青年。その人生にも、挫折と成功、そして希望と葛藤と焦燥が目まぐるしく蠢いています。
現代を生きる私たちが、いま内田弥八という一人の人間の生涯から何を読み解くのか。その読後感は様々あるのではないかと思います。
 
さて、今回の復刻本ですが、徳島県の井川町教育委員会(現三好市教育員会)と、実際の著者である故吉岡浅一氏のご家族のところへ直接お届けにあがりました。
かつては地元の小学校の授業でも取り上げたという内田弥八ですが、現在はその人物像を知る人は少ないようです。この機会にもう一度地元出身の内田弥八を知ってほしいと思います。
  
『内田弥八の生涯』
著者:井川町教育委員会
発行:2019年4月15日
四六判、180ページ、1200円+税
(作品案内) 
https://www.kawade-shobo.com/…/%E5%BE%A9%E5%…/20190415/2616/


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